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うつ病経験談~診断後からの治療生活、9か月後に2度目の発症~の巻

2019.07.16 MasuStar.Galley始動

こんにちは、カナコです。

毎日毎日本当に暑い。皆様、健康にはくれぐれもお気を付けください。

さて前回のうつ病経験談は【発症前から診断されるまで】を書きました。

 

mikingstar01.hatenablog.com

 

今回は、2016年9月に「うつ病」と診断された後の話です。

7年務めた会社(飲食業)を退社してから2度目の発症までについてを書いていきます。

2016.10~2017.6の二度目の発症までの経緯

 

 

 振り返り

少し振り返ります、

2016.8月末に体調を崩して有休を使って休み始め、9月中旬に病院で「うつ病」と診断されました。

有休中に通院しましたが、社会復帰は困難と判断され、上司とも相談し、

「また仕事に戻らなきゃいけないというプレッシャーが今はストレスになってしまう」という事を告げ、10月2日付での退職。という流れ。

職場の方や関係者には携帯で簡単に済ませます。

もちろん筋が違う事は認識していましたが、当時はそれが精一杯の手段でした。

 

 治療環境の戸惑い

退職して、本格的に病気と向き合う生活が始まります。

 

過去にも病院には行かなかったものの、うつ病特有の症状が出ていた時期がありました。その時と今回の治療では大きく環境が異なる事があります。症状の強弱ではなく、環境が。それも仕事ではなく。

 それは、現主人と同棲していた為、家にもう1人居るという事。

それまでは1人暮らしだったので、このヤバい姿を知っているのは自分だけ。

 

 気力も生気もなくて女性らしさの欠片もなくて、暗くてただただ暗い。

主人が居ようが居なかろうが基本は横になっていてたまに、いやよく発狂して。

本当におかしくなっちゃたし変わっちゃった。もはや他人なんじゃないかと思うくらいです。

私ではない。でも私なんですよね。

自分が自分を否定しているから余計にしんどいんです。

 

 主人を避けてるんだけど、なんとなく“助けてほしい”ってアピールしているような感じ。

 長年の付き合っていましたが、同棲は今回が初めてで

こういった症状が出る事を主人は知りません。

 

なので当初は私だけでなく主人も相当苦しかったと思います。

 

 当時は主人も受け入れきれない様子でした。

 

そんな主人の心情にも気づかず、

私はおかしくなった状態で主人にあたりぶつけてしまします。

私なりの甘え方だったんです、その時は。

 

そんな私の姿をみて主人も限界にきたんだと思います、

目も真っ赤にして、疲れ切った表情と声で

”しんどい”“このままじゃ俺もおかしくなる”

と言って、朝仕事に向かったんですよね。

あんな後ろ姿、もうさせちゃダメ。絶対に。

逆の立場なら逃げだしたくなりますよ。よく逃げずにいてくれました、本当に感謝しきれません。

 

 病院に行きながら 葛藤の日々

気持ちの整理がつかず感情だけが先走っている状態が続きます。

 

 焦らず、自分を責めるのでなく出来る事を1つずつ増やしていきます。
笑顔が増えるよう、1日の嬉しかった事だけを記録をつけています。
ストレスが大敵なこの病で、
ストレスをなるべく感じない生活、ストレスを感じにくくする物事の考え方を勉強し、少しずつ実践しています。
病院に行く事も治療の1つですが、あくまでも本人の意思1つで治療の効果も大幅に変わると思っています。

もちろん周りのサポートがあればさらに良いすが・・・

私の場合は『早く普通に戻らなきゃっ』て焦るその気持ちが余計に自分を苦しめ、

心が握りつぶされそうでした。

 

仕事をやめて治療に専念すると言いましたが、そもそも治療方法が分からない。

病院に行ってもちょっと話をして「はい、薬」

効果を感じるどころか行く意味は傷病金申請の書類に記入してもらうためだったのかもしれません。

結局は自分で治さないといけないと思ったのもこの頃からです。

 

現状から考えると良い方向に行かないのは当然です、

だって自分が自分を認めていない、否定しているから。しかも病院も頼りにしていない。

いくらストレスを感じづらい生活を意識しても勉強しても、根本が解決していないから本当の改善にはなりません。

 

それが2回目の発症に苦しんだ大きな要因です。

 

 年末に元職場へけじめのあいさつ回り

初めての診断から3カ月半後の2016年末、初回の症状は少し落ち着きを取り戻せていました。

年を越す前にけじめとして前職場への謝罪を兼ねた挨拶回りを決意します。

当時店長という立場の人間が何の知らせもなく急にいなくなったのだから。 

どういう理由であってもやっぱり良くありません。

この罪悪感を抱いたままでは前にも進めないと思ったのです。

事前に各店長と連絡を取り、段取りしていましたが前日は緊張と不安で寝付けなかった気がします。

そして当日は都内にある5店舗と本社を1日かけて回りました。

 

私が所属していた店舗に関しては特にちゃんと謝罪をしたいと思い手紙にして朝礼の時間を少し借りて、みんなの前で読み上げました。が、ボロ泣きだったな。笑

 

最後に本社へ顔を出し、1番気にかけてくれていた上司の顔を見たらまた安心してボロ泣き。そして社長もいらっしゃったのでご挨拶をしたら、

こんな状態になった私にも温かい言葉をかけて下さって。。。。

もう水分が枯れるくらい泣いた気がします。

緊張と不安とで今までで1番長く感じたかもしれない 、そんな長い長い1日が終わりました。

 

 

 一区切りとして気が楽になる

前職場への謝罪が出来た事でだいぶ気が楽になりました。

久々に晴れ晴れした気持ちになれた事が素直に嬉しかったです。

正月を大阪で過ごし、これから良い流れになる事を願いました。

 

結納(顔合わせ)、入籍、主人の転勤による引越、各手続

診断から6か月~8か月後

ちょうどこの頃は

結納(両親顔合わせ)・入籍・主人の転勤・引っ越し

等が重なり、かなりバタバタしていました。

病院も新しいところになり、気分は上々でした。

そのおかげもあり病気の事を考え込む時間も自然と減った事で症状も目立ちもしない事から“治った” と勘違いしてしまうんですね。

 

近所で居酒屋のアルバイト 骨折

 7カ月目にはリフレッシュもかねて近くの飲食店でバイトを始めます。

 

大好きな職業で飲食店の店長としてバリバリやってた場所でこの病を患ってしまい、

飲食業に対して怖さもあったけど、それ以外の仕事のイメージが湧かない、なんならより怖いとさえ感じていました。

実際働き始めると、怖さや不安、そういったもの以上に、

スタッフやお客様とやり取りしながらのあの雰囲気が嬉しくて楽しくて。

 

ただ、まだ治療中の私。

働き始めて数日後、病気も快復、仕事も復活、

おまけに既存のスタッフさんからも褒められる事も増えて気持ちが高ぶってしまった頃です。

帰宅途中、転んで左ひじを骨折してしまいます。

閉店作業後にスタッフの人達とお疲れ杯を調子乗っちゃったんでしょう。

 

痛くてしかも酔っぱらって、どうやって帰ったかうろ覚えですが、

翌日起きたら家の布団でした。起き上がろうとしたら、激痛。

泣きながら病院に行きました。

 本当よく泣くよ。笑

 

そんなわけでアルバイト先に事情を伝えてしばらくお休みに。

 

そんな感じでGWを迎えて、その状態で帰省。

 

GWも終わって肘もだいぶ動くようになって、バイトも復活。

6月に誕生日を迎えてしばらくした、ある時です。

記録帳には6月11日と記載していました。

“背中をドンっ”と まるで崖から突き落とされたように下落します。

そしてこの時、初回にはなかった感覚がわきます。

まるで何かが憑りついたんじゃないかと勘違いしてしまうような。

 

 

 二度目の発症

具体的症状

上記でも言いましたが、何かが憑りついた感じでした。

そんな不安定な時期にどうしても行かなきゃいけない用事があって銀座に出かける事があったんですけど。。。

人混みにパニックになってしまい、途中で自分をコントロール出来なくなってしまうんです。裏道で人が居なさそうな場所に逃げこむように体が動きます。

主人はまたびっくりして後ろからついて歩いてました。

人気のいないビル裏の非常階段に蹲ってしまいます。

涙が出て、うぅ゛ーとかあぁ゛-とか言葉じゃなくてなにかが吐き出る感じがありました。

主人の顔はどんな目で私を見てるのかが怖くて見れません。

1時間か2時間くらいそこから動けずで、これは嘘みたな話なんですが、顔を上に向けた時に頭のてっぺんからすーーーっと黒いモヤっとしたものが抜けていくのが見えた気がするんです。何これ?!っと驚いたのは覚えています。

その直後、本当にスっと体が軽くなって、不安定な気分ではありますが歩けるようになったんですよ。

うん、どう書いても作り話みたいになっちゃう。

 

 で、翌日の夜には、主人が仕事から帰ってきて同じ空間に居る事が申し訳ない気持ちになり外に出ました。

財布だけ持って出たのかな。目的場所はないけどふらふら歩きました。

その時の様子はまた酷い。

もうきちがいな自分なんです。目がぶっ飛んでる、歩いている自分を斜め上から自分が見てる、まるで操作してるみたい。首がまわる、目が視線が定まらない、手が動く

 コンビニでノートとペンを買ってサイゼリアに入ったんですよ。

食べたくないけど食べ物を口に入れる行為は少し気を楽にさせる傾向があって無理やり食べていた気がします。

そして買ってきたノートに色々書き込みます。

そのノート今開いてみて目立ったのは

「今の私は誰ですか?」「誰」「私」「私」「私」

こんな感じでした。

サイゼリアに数時間いて帰りは走って帰ったって書いてました。

深夜にノートを持った不清潔な女がダッシュ、、、色々危な。笑

 

次の日かな、母親からの電話があったんですが、

最初は取れない、数回目で出ます。全然違う用事での電話でした。

今、自分がこういう状況であること、言えるわけがない。

 

主人にはひたすら申し訳ない気持ちが膨らみます。

こんな嫁をもらってしまって。まるで貧乏くじ。可哀想でしんどいはず。

 

私も今どうしていいのか分からない、でも早く楽になりたい。

 

原因

今、冷静に考えると、

根本的な治療が出来ていないにも関わらず、医師への相談もなく勝手にアルバイトを始めて気持ちの抑揚を調整出来なかった。暴走しちゃったんです。

また、結婚式を約1か月後に控えていた事で準備に追われたり主人とのコミュニケーション不足が気持ちのすれ違いになりストレスが爆発したんだと思います。

 

対処

残念ながら対処法の記録はあまり書いておらず、自身の記憶にも残っていません。

書いてあったのは、去年の9、10月頃には絶対戻りたくない、1番戻りたくなかった頃の自分が今またここにおるのが恐怖という感覚。

主人の助けもあり、少し冷静になったと書いてある事から、なにか真剣に話をしたんだと思います。

その後数日も安定しつつあるけど、

この状態がいつまで続くのかが心配、何かあったらすぐ落ちる可能性がありそう、

と不安感を抱いたままビビってる様子が分かります。

 

また、約2週間後あたり、結婚式まであと1週間というタイミングでの日記には、

グロデスクで言葉にもしない方がいいような家族の嫌な夢をみたり、

結婚式がめちゃくちゃになる夢が続いていた様子から、

 

やっぱり緊張と不安が良くなかったみたいです。

 

この2回目に関しては、うつ病を克服するための行動を特に何もしていない印象はあります。

7月に結婚式が終わって、9月の披露宴が終わった頃にはその症状は和らいでいました。

 

後から見ると、最悪なタイミングで人生の大きな行事を迎えたみたい。笑

 

おまけ

現在(2018.8月)は、3度目の発症も乗り越え、健康な日々を過ごしています。

なんとなくですが、この病気との付き合い方やマインドコントロールのコツが分かってきたような気がしています。変な緊張や不安も感じづらくなっています。

まだ、これからも100%の安心はないんでしょうが、確実に以前のように恐怖心を抱く事はなくなっています。

 

そしてこのうつ病の経験談は大きく3つに分けています。

前回の①発症直前から診断されるまで

今回の②診断後から二度目の発症まで

そして次が③三度目の発症 

①と②は苦しい状況が続いてしまい、面白みは全くありませんがこれから書いていく③は具体的にうつ病に立ち向かっていく様子を表現していく予定なのでまだ明るめのお話になります。

 

ふ~。

やっとこの回を書けた(^^)/勝手に達成感に浸っております。

今回も長文をご覧くださり、ありがとうございました。

 

▼去年、主人側のお祖母ちゃんにプレゼントした団扇。

それぞれの誕生日花がモチーフです。暑い日が続いているので涼のある作品を。

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